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日本学術会議の在り方をめぐるロシア史研究会有志声明が発出されました(2023/3/15掲載, 2023/4/3更新)

  • Yukimura Sakon
  • 2023年3月15日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年4月3日

標記の件につき、本研究会の有志から以下の声明文の発表がありましたのでお知らせします。

**************

日本学術会議の在り方をめぐるロシア史研究会有志声明


日本学術会議協力学術研究団体であるロシア史研究会の有志は、内閣府による「日本学術会議の在り方についての方針」(令和四年十二月六日)が、以下に述べる危険性をはらんでいることを深く憂慮し、方針の再検討をここに要望します。

内閣府の改革案は、全体として、日本学術会議(以下「学術会議」)が政府の関心に沿うことを求める方向性を打ち出しています。例えば、学術会議のメンバーを選考する際に第三者機関として関与するとされる「選考諮問委員会」について、その詳細はまだ明かされていませんが、特定の政党・政治家の意向を受けた人物や財界の関係者が加わることが想定されていることには、大きな懸念があります。なぜなら、特定の思想や宗教の意向、あるいは特定の企業の利益に沿った形で人選が行われることで、正常な学問の発展が阻害されたり、学術機関が特定企業や利益集団に不当な対価で利用されたりする恐れがあるからです。


学問と政治・経済の癒着によって、学問、ひいては国民一般が不利益を被る事例は、本会が研究対象の一つとするソ連史に典型的に見出すことができます。


ソ連初期から中期にかけて、トロフィム・ルィセンコという生物学者がいました。彼は、当時の遺伝学説をほぼ完全に否定する「ルィセンコ学説」を唱えました。当時のソ連の科学者の多くは、むろんその学説を疑似科学として否定します。ところが、自ら学んでいた生物学の考え方に近いと考えたスターリンはルィセンコを支持し、彼の考えが学界で幅を利かせるようになったのです。農学者でもあったルィセンコは低コストの農業生産向上策も提案し、生産性向上に前のめりになっていた続く第一書記フルシチョフにも気に入られると、ルィセンコを批判した学者がフルシチョフから批判されることさえ見られました。このことが遺伝学をはじめ様々な学問の正常な発展を阻害したことはいうまでもありませんが、それが広く一般の人びとにも悪影響を及ぼしたことにも注目する必要があります。例えば、遺伝子など存在しないというその考え方は、放射線の遺伝子への影響に関する研究を抑圧してしまいました。


時の政治家や特定企業からすると魅力的な学説も、学術関係者のあいだの対等な学術論争として精査を受ける必要があります。このとき、そこに学問以外の力が働くと、この重要な過程が阻害されてしまいます。学術会議が公平で多様な観点から運営されるよう、メンバーの選出方法含め改善の努力を続けることは当然です。しかし、その際に、学問は自律的で自由であるからこそ、長期的に見て人類全体にとって有益な真理に到達できるのだという原点を今一度踏まえたうえで方針を検討されるよう、ここに強く求めます。


                                 署名者数:47

 
 
 

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